親切ごかしな小姑めいた小言に抗して


昨日の芸大先端の卒展を見て思ったのは、もっと美術史を勉強すべき。ほとんどパクリかパクってるつもりでなくてもすでに誰かがやっていること、それすら気付かないなんてまずいよ。まずい。

http://twitter.com/#!/shinmisa/status/28988496022609920




しかし、まあ、学校卒業時にいきなり世界市場でヨシとされるようなオリジナリティを持てるような人が、美術大学に入学できる訳もなし。学校で勉強すれば、習ったものやら既存のものやらの影響をもろかぶりしてしまうのも詮無きこと。

問題は、「これはパクリ」「それは前ありましたよね」等の小姑めいた「盗作告発」を気にし出すと、撮れなくなること(おそらくは、描けなくなること)。
撮れなくなるくらいなら、小姑めいた「パクリ告発」なぞ、
「やってろ、阿呆が!」と見下しておいて、じゃかじゃか盗作を量産していった方が、健康に良い。

盗作パクリの連鎖にすぎなかったものが、なんかの間違いで、オリジナリティを確保できたならば、それでいいじゃないか、と思う。
オリジナリティに至れなかったなら、「ダメだったね」で終わりでいいじゃないか、と。

杉浦日向子百日紅」に、「真似になっちまう」と意気消沈する若き日の渓斎英泉を、先輩絵師の魚屋北渓が、励ますシーンがある。

これが 勝川春潮
こっちが ずっと後ィ出た歌麿
人まねきらい しきうつしなし の歌麿もまね してたンだ
――が今じゃ やっこさんの 画組があちこちで 盗られてる
はじめァ まねでも
しまいにゃひとから
まねされるようになりゃ
かまわねえ

杉浦日向子百日紅」(一) 其の四・・木瓜(ぼけ) 1985)


ピカソを盗作告発しなかった美術市場にどうこう言われる筋合いもないんだが。





付記:
こんな記事みつけた。全文が知りたい。

若者たちは禁止の時代に生きている。普通の行動に思えることが、どんどん違法になっていく時代だ。彼らはこうした創作活動は違法だと認識し、自分自身を「犯罪者」と見なしている。そんな考え方に慣れつつある。
 そんな認識は腐っている。法の支配という考えの腐敗だ。この腐敗の代価を考えれば、コンテンツ業界の損失など比ではない。
 著作権法は変えなければならない。
WSJ] デジタル時代、著作権法は変わるべき――レッシグ教授寄稿 (1/2) - ITmedia News (via edieelee, cxx) (via katoyuu) (via yukio) (via shingoy103)

http://kotoripiyopiyo.tumblr.com/post/2730765981



百日紅 (上) (杉浦日向子全集 (第3巻))

百日紅 (上) (杉浦日向子全集 (第3巻))

百日紅 (下) (杉浦日向子全集 (第4巻))

百日紅 (下) (杉浦日向子全集 (第4巻))

ピカソ論

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