実父=浜村龍造の自死




☆「面接交渉権」という言葉を知った。人と会う権利。同時に「実父」という問題についても身につまされている。


☆「実父」という問題に振り回され続けたのは、中上健次だ。中上の小説の中で、「実父」は、「浜村龍造」という化け物じみた人物として登場する。しかし、中上の実際の「実父」は、実に小柄なしょぼい人物だったらしい。どこかで「え?」という驚きとともに書いていた。

中上健次の小説の中に、母と子供らがいっしょになって「実父」を追い返すシーンがあった。いわば、「実父」の面接交渉権を母とグルになって拒絶したわけだ。
 しかし、追い返されるまでもなく「実父」=とうさんに、子供との面接交渉権なぞないに等しい。離婚すれば、ほぼ間違いなく親権は、「母」に渡り、別れなくても、逢いようがない。なにせ一日14時間も拘束されて賃労働をするのだ。子供が寝ている時に出勤して、子供が寝てから疲れ果てて帰って来る。近所の左翼系保育園が「共育て」などという標語を掲げていたが、不可能だ。睡眠時間すらとれないで賃労働で拘束されるのに、その上、子育て? あのさ、フェミニストは知らないらしいが、「男だって人間なのだ」、人間的に不可能なことは不可能だ。


☆「妻と別れる」ことは、事実上「子供と関われなくなる」ことだ。なんで? と納得出来ないが、刑事裁判の有罪率99.9%と同じく、この法治国家ニッポンではそうなっているのだから、そうなのだ。然もメディアは、「鬼母」やら「母の同棲相手」やらのニュースを流し、こちらの不安を煽る。「なに、母と一緒にいるからといって子供の安全と幸せは保障されないの?」。


☆確認したいのは、「子供一般の安全」とやらではない。「娘」が普通に育っていれば、納得する。よその子のことまで心配してない。
で、「実父」になにができる? 真っ昼間から家にいる「養父」が何者かを知る真っ当な権利さえ保障されていない。


☆子供の健全な生育のためには、「実父」は「面接交渉権」を主張しない方がいいそうだ。
 なるほど。その説を信用しようではないか。だからといって権利を放棄する気は毛頭ない。逢いたいのだ。本当は育てたいのだ。「安全」くらい確認させてくれ。

☆秋幸を身近に置いた浜村龍造は、理由不明のままに縊死した。
ほかにないだろ? 「面接交渉権」を、逢いたいわが子からも拒絶されていた老年の「実父」になにが残る? 怪物でさえ自死を選んだのだ。いや、「実父」なぞ、みな労働に絞り尽くされたしょぼい搾りかすのような亜人間だ。人としてさえ扱ってもらえない人間だ。




☆年間自殺者数3万2千。その7割強が男性だ。
そりゃそうだよね。
希望なぞないもの。