石原軍団からたけし軍団へ




 石原プロの影響力ってどのくらい残ってるんだろう?
 慎太郎陣営は、「石原プロの選挙応援を受ける気はない」、と発表している。が、石原慎太郎は、(自身も言っていたそうだが)「裕次郎の兄」だったからすんなり都知事になれた人だ。でもそろそろ裕次郎の格好良い面影って消えつつあるし。「太陽に吠えろ」からしか知らない中年世代には、裕次郎って、肝臓が悪そうな顔色した太ったおじさんだよね(あぶらギッシュにテラテラしたたけど、体調悪そうな顔色)。椅子から立ち上がろうともしない上司。・・・格好良いか?
 wikiで調べると、もう俳優いないんだよね、石原プロって。「有名人」って取締役ばかり。 「応援いりません」ってよりは、「いやぁ・・・来て貰っても・・・」ってことかも。



「石原軍団からたけし軍団」へと政治的影響力が推移してしまった観もあるし。
前者が武闘派風を装った俳優たちだったのに対して、後者はほんとに新右翼野村秋介的な暴行事件等をおこしているお笑い集団。シリアスを装った「正義派ごっこ」の俳優プロダクションから、お笑いをまといながら底にあるどす黒い暴力性が吹き出してしまう師弟グループへと、影響力の核が動いた。



 東京都知事候補 外山恒一がどの程度本気かは置いとくとして、ほんとに直接行動派のアナーキストが出て来るかもね。






 浅野史郎がどのくらいまで行くんだろう? とってもフットワークの軽い人らしくロフトプラスワンに飛び入り参加したり新宿二丁目で遊説したり、ちょっと面白い。松沢呉一の話だと、にもかかわらず「少数派の味方」とは絶対に言ってないらしいから、バランスもかなりのもの。単に反-石原陣営ってだけで「マイノリティ」に投票を呼びかけてる。なるほどね。

土曜の夜、何かが変わる?二丁目を守るために!01●開始前の二丁目仲通り



2007年東京都知事選挙_浅野史郎氏 3月31日歌舞伎町RuidoK4







「♪41才の春だからぁ〜」。
昭和元年生まれのバカボンのパパは、昭和41年に41才だった。そして昭和41年生まれの僕は今年41才になる。
来年の春だ。
来年の春には、バカボンのパパと同い年だ。
呆けているにせよ、呆けたままに生き延びようと思っている。呆けているにせよ、なにか起こしていかなくちゃ。
(「冷たい目で見ないで」という感覚を引きずりつつも。)



枯葉散る白いテラスの午後三時
じっとみつめて 欲しいのよ
特別の愛で ふるえて欲しいの
四十一才の春だから
元祖天才バカボンのパパだから
冷たい目で見ないで

粉雪舞う青い窓辺の午後三時
じっとたえて 欲しいのよ
特別の愛で 燃えて欲しいの
四十一才の春だから
元祖天才バカボンのパパだから
冷たい涙流さないで
(「元祖天才バカボンの春」赤塚不二雄作詞 渡辺岳夫作曲 )

(http://www.fukuchan.ac/music/anime/bakabonnoharu.html)


こおろぎ'73、コロムビアゆりかご会 唄





来年春に「41歳の春だから」っていう展覧会やろうかな? できるかな?






付記:
今のところ一番印象強かった浅野史郎候補の主張。
(「浅野氏を囲むシンポジウムで手伝いをした人の日記 」から引用されていたもの。原典不明。知らない人のmixiから)

以下引用↓
「石原さんのオリンピックとかじゃなくてもいいから、何か夢のある提案はないのか?」
という参加者の質問に対して、

「行政は、都民に夢のある話をする役割じゃない。
夢は民間のみなさんが見るもの。
行政がしゃしゃりでてつくるものではなく、
民間のじゃまをしないことが大事。
むしろ今の状況は、税金をつぎこんで夢を見られないような社会をつくっている。
オリンピックで見るような儚い夢より、
若者の非正規雇用問題、老後の問題、災害対策、伝染病対策、地域福祉なんかをきちんとやって、
安心して眠れるような社会をつくりたい。」
という答えは、浅野さんらしさが表れていたように思います。はい。





付記2:
野村秋介について。
 野村秋介のことを知ったのは、確か第一回目の「朝まで生テレビ」だったと思う。スーツ姿に太縁メガネでロマンスグレー。長谷川和彦は、「漢文の先生みたい」と形容してたっけ。ずばっと明晰に喋り、ピンポイントの発言で聴衆から喝采を得ていた。その見事なパフォーマンスが印象に残っている。



「河野邸焼き打ち事件」

○山口説明員 私から河野邸の放火事件につきまして概要を申し上げます。
 昨年の七月の十五日午前六時五十分ごろでございますが、神奈川県の平塚市にありますところの河野大臣の私邸に、憂国道志会の会長をいたしておりまする野村秋介、二十八歳、それから同じく憂国道志会の会員でありますところの松野卓夫、二十五歳、この両名が共謀の上で、ガソリン十八リットル入り二かんを携えて自動車で乗りつけまして、そのうちの中に侵入をいたしまして、野村が河野大臣の秘書の紫藤研一らに対し拳銃を突きつけまして脅迫をして、それから松野が、その応接間の中にガソリンをまきまして、これに野村が点火をいたしました。そうしてその木造平屋建ての建物を全焼さした、こういうことでございます。
 事件が発生いたしますとともに、神奈川県の警察では、特別捜査本部を平塚警察署に設けまして捜査に当たったのでございますが、すでに右翼関係について持っておりますところの既存の資料、あるいはガソリンの入手先、それから自動車の運転手の取り調べ等によりまして、容疑者を割り出しまして、野村を七月の十七日、神奈川県の警察本部、共犯の松野を同じく横浜市内の旅館でそれぞれ逮捕いたしました。
 それから関係者の取り調べ、裏づけ捜査によりまして、野村が脅迫のために使用いたしました拳銃の受授所持関係が判明いたしまして、七月の二十日に川端寅三郎、それから同じく二十二日に土屋泰策、それから熊本昭平、これらの三名を銃砲等不法所持の疑いで逮捕をいたしたのであります。
 被疑者の野村は、犯行の動機につきまして、かねてから河野大臣が自民党内の派閥抗争を激化さしておる、その反省を求めるためにやったんだというふうに述べております。また行動にあたりましては、自分が一人で計画して行なったものであるとして、共犯、それから背後関係等の存在を否定いたしております。神奈川県警では事件の重要性にかんがみまして、その背後関係の糾明につとめました。また野村が平素から右翼運動について指導あるいは助言を受けておりました三上卓、これは御承知の五・一五事件の関係者でございますが、それら数名につきまして取り調べを行ないました。また野村と常時連携して行動をともにいたしておりました関係者らにつきましても、それぞれ捜査をいたしたのであります。
 その結果、この事件の前にばく然と野村から河野邸焼き打ち構想を直接聞いたという者、あるいはそのときに一種の斬奸状的なものも持っていったわけでありますが、それを見たという者、それからそれに記載した全愛会議――これは全日本愛国者団体会議の略ですが、この全愛会議の名前が掲げてあるのでございますが、それを掲げることについて、全愛会議の責任者でありますところの佐郷尾氏などに承認を求めたいということも判明いたしたわけであります。それからいろいろと若干の関連事実のあることも認められたわけでございます。ただ背後関係者としてはっきりと刑事責任を追及し得るという事実はついに発見されなかったのであります。
 また若干の金が使われておるわけでございますが、その資金関係につきましても、いろいろと背後関係追及の一環として捜査を行なってまいったのでありますが、いずれも野村の自分の会社あるいは取引関係、あるいは父が鉄工所を経営いたしておりますが、その父からの借金というようなことで、直接この犯罪に結びつくような資金関係というものも出てまいらなかったのであります。
 なお、この野村等につきましては、去年の八月八日に起訴されまして、十一月の二十日に第一回の公判が開かれました。その後私の聞いておりますところでは、四回ほど公判が開かれておるということでございます。
 以上、概要を申し上げました。

第046回国会 予算委員会第四分科会 第2号
昭和三十九年二月十八日(火曜日)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/046/0526/04602180526002c.html



経団連襲撃事件」

○藤田(高)委員 時間が五、六分しかありませんので、そのものずばりでお尋ねしますが、一昨日の経団連会館襲撃事件に関する件についてお尋ねしたいと思います。
 報道されているところによりますと、散弾銃やピストルあるいは日本刀を持っておるいわば凶悪犯人を逮捕するに当たって、警察当局の逮捕のあり方について、手錠をかけないで連行した、こういうふうに報道されておりますが、そのことは事実かどうか。事実であるとすれば、どういう理由で手錠をかけないで連行したのか。またこの種の凶悪犯人ないしはこの種の事件に関連をして、手錠をはめないような逮捕をした前例があるかどうか。このことについてお尋ねをしたい。
○三井政府委員 今回の事件について、犯人の四名を現行犯逮捕に当たりまして手錠をかけなかったという点については、報道等もされておりますように事実でございます。
 また、過去において、凶悪犯人等の現行犯逮捕の際に手錠をかける、かけなかったということについては、格別統計等もとっておりませんので、具体的な事案という点については私記憶ございませんが、幾つもあるというのが常識であるというように私たちは考えております。
 なお、今回の事件について手錠をかけなかった理由でございますが、今回の事件は御存じのように人質事件でございまして、人質をとって占拠をし、ある種の要求を出す、こういうものでございます。人質事件の場合は各種ありますけれども、このような凶悪な一定の政治的運動のためにやる場合もありますし、また通常の強盗まがいのように金銭要求でやる場合もございますが、警察にとりまして人質事件の処理は最もむずかしい事件の一つでございます。と申しますのは、事件を起こしました犯人を逮捕しなければならぬのは当然のことでございますが、同時に、人質の生命を安全にして救出する、こういうことでございまして、端的に申しますと、この事件処理の方針は二点ございまして、人質の安全救出、第二点は犯人の検挙ということでございます。したがいまして、この際、犯人が人質に危害を加えないように各種の説得をいろいろの手段方法でやるわけでございますが、本件の場合、十何時間という長い説得の中で犯人がようやく、人質に危害を加えない、そしてわが方に投降する、現行犯逮捕する、こういうふうに説得の結果折れてまいりましたので、そこで最後に、その人質に危害を加えないで逮捕する一つの担保と申しますか、犯人側から言わせますと手錠をかけないでくれ、こういう意味のことを申したわけでございます。まあそういう意味で、手錠こそかけませんでしたけれども、そのこもっておった現場において逮捕し、両腕を抱え、持っておりました凶器を全部その場で取り上げる、押収をするということで無事逮捕したわけでありまして、手錠をかけなかったことを含めまして、そういうやり方によって人質に何らの傷、危害を与えることなく、無事にこの事件の解決が成功した、こういうふうに私たちは考えておるわけでございます。
○藤田(高)委員 私は、人質の人命を尊重するという立場からするいまの当局の見解は一応了とするわけでありますけれども、しかし、これだけ凶器を手にした凶悪犯人、現行犯というのはないわけですから、一応人質の人命が大丈夫だという条件が保証されたその瞬間には、私は、当然手錠逮捕ということがむしろ常識じゃないか。そうしないと、たとえば選挙違反で、法律違反ではないかと疑われる程度の文書あるいはチラシの配布をしておっても手錠をかけて逮捕するというような事件との均衡がとれないのじゃないかということが一つ。
 いま一つは、ああいう形で胸を張って時扱いをしてくれ――時扱いをするようなことが法律上考慮されるべき理由があるのかどうかということ。そうして、そういう犯人の言い分を入れて、胸を張って、そうして手錠もかけないで連行されるような状態が報道されますと、このことがますますもって右翼の跳梁を許すことになるのじゃないか。右翼勢力をして英雄気取りにさしていくことになりやしないか。第二、第三のこの種の事件を警察当局が誘発さすようなことにならないかどうか。この点についてお尋ねをいたしておきたいと思うのです。
 こういうことについて明確にやらなければ、やはりややもすると、かつての、一昨年でございましたか昨年でしたか、姫路の警察署長と有力な暴力団とのかかわり合いが大きな政治問題、社会問題になったように、警察自身とこの暴力団のかかわり合いというものはやはり世論の指弾を受けることになるのではないか。それに対する見解。
 いま一つの問題は、野村秋介に代表されるように――彼は河野邸を焼き打ちするような事件で十二年の実刑を受けておる、そうして一昨年出所してきたばかりなんですが、こういう右翼団体に対する警戒といいますか、そういうものに対するマークが非常に私は甘過ぎるのではないかと思うのですが、そのことに対する見解をお尋ねいたしたい。
○三井政府委員 第一点の、手錠をかけなかったことによって今後同種事案の続発防止に寄与しない、かえってマイナスである、こういう御意見でございますが、先ほど申しましたように、一たん事件が起こりますと、当該事件をいわば完璧に処理をすると申しますか、この場合の第一要件は、人質の生命の安全、これが第一でございます。それと並んで犯人を全員検挙する、こういうことでございまして、本件の場合は、人質の生命の危険もありましたし、また犯人も、全部かどうかは別といたしまして、あの場で自決をする、こういうような要素もあったわけでありまして、そのいずれをも防止して、両方の生命を安全に救出し、かつ検挙する、こういうことでございまして、そのためには、説得の結果、手錠をかけないことがそれに寄与する大変有力な要素になる、こういうふうに現場において判断をいたしました。そのかわり、手錠をかけませんでしたけれども、手錠をかけたと同様に、また手錠をかけることにかわる、それと同じような物理的な身柄の拘束として、捜査員が二人以上で両腕をとるということによりまして、彼らの危害あるいは逃亡、さらに自殺、こういうことを防いで逮捕したわけでございます。
 それから次に、そういうようなやり方ではまた他の右翼に対してこれと同じようなことをやらせる誘因にならないか、こういうような懸念の点でございますが、私は、犯罪はこれを完全に検挙する、犯罪があれば検挙するということが犯罪の続発防止の最大の決め手であるというように考えます。そういう意味におきましては、今回彼らが自決もできなかったということによって、多くの右翼はこれを見て疎外感を感じておるのではないか、あるいは挫折感を感じておるのではないかというように思いますけれども、つまり検挙にまさる防犯なしということが第一でございます。そういう意味におきまして、大筋におきましては予防という効果もこれによって大いに発揮しておるものというように考えるわけでございます。
 それからまた、野村秋介……
○坪川委員長 簡明に願います。
○三井政府委員 はい。
 野村秋介のことでございますが、一昨年彼は出所以来、彼の動向についてはよく注意を払っておりましたけれども、言論等におきましていろいろのことを言っておりました。ただ、一般的に暴力を肯定するような言い方を言論で言っておりましたけれども、今回こういうような形でこの種の事案を敢行するということについては、それを判断できる、察知できるような材料といいますか、徴候を把握できなかったのは大変残念であると考えますが、今後こういう点につきましても十分反省を加え、手抜かりのないようにやってまいりたいと考えておる次第でございます。
○藤田(高)委員 ありがとうございました。
 見解の違いもありますし、また今後の問題についてもお尋ねしたいことがありますが、時間がありませんので、これで終わります。

第080回国会 予算委員会 第20号
昭和五十二年三月五日(土曜日)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/080/0380/08003050380020c.html