映像インフレの果てに




「Metacafe」とか「快傑ズバットASIN:B00028G4DW とかをつづけて見ていたら、絶望的な気分になって来た。ニタニタ笑いながら落ち込む凡庸の沼。

 うんざりしながら画面を切ったら、突如、映像のインフレの果てに起きる映像の死滅についてのビジョンが浮かんだ。もはや誰も映像に興味を示さない近未来の状況。視覚的麻痺だろうか? 具体的なものを撮った映像が完全な無価値になった世の中。なにものをも表象しない遠近法を欠いたのっぺりとした光の束たちが明滅する画面が覇権をとっている。しかし、その覇権も細々とした世界の片隅で。つまり、今のニッポン現代美術市場規模でだけ映像が残っているような状況。映像が欲望を喚起しない時代。

 映画→TV(→YouTube) っていう映像インフレの果てに20世紀っていう「映像の世紀」は終わったんだよなあ、と。

「今ここ」を「過去よそ」の表象によって完全否定するのが、映像(映画、TV)の役目だった訳だが、「今ここ」だけが残って、「過去よそ」が完全否定されるような世紀が来ているのだろうか? 当然、「過去よそ」からだけ喚起されるような「未来ここ」も浮かんで来ないような世紀。



(この項つづく)