39年振りの「ハイジ」






家で、黒パン焼いた。
黒パン焼いて、チーズ載せて喰った。「これって、ハイジんちの朝ごはんじゃん」と「アルプスの少女ハイジ」を思い出した。
近所のTSUTAYAで借りて一気に見てる。39年振り。

 このアニメって、ひょっとして、ハイジが学校に上がる前の時期(5歳〜8歳)の放埒にアルプスの爺ちゃんの家で遊び惚けていた時期だけで終わらせる予定で始まったんじゃないの? フランクフルトへ行く前の時期の部分におけるアニメーターたちの無謀な熱狂振りが目を惹くんだよね。だって、スジなんて殆どなくって、動物と子どもが自然の中でひたすら走りまくってるだけなんだもん。ストーリーなんてあってなきが如きなんだけど、動きが速くって絵が上手いから、ずっと見れちゃう。
とにかくテンポが速いねえ。こんなに速かったっけ? 「スラムダンク」のインターハイバスケット選手より、スイスの小学校低学年の方が格段に足が速い。絵も上手いよなあ。山羊や鳥や牛馬犬、きっちり上手くって、しかも正確に動く。ネコだけ、下手だった。不思議。

 いくつか発見。
1)「クララが立った!」って、ハイジのセリフじゃなくって、おばあさま(フランクフルトの金持ちのへんちくりんな婆さん)のセリフなんだね。もちろん、あとでハイジも連呼してるんだが、クララが立つ瞬間に立ちあうのは、クララのおばあさま。
2)無人になったラピュタの都市部は、ハイジの冬の家なんだ。

 原作の方のことがだいぶ気になった。ゼーゼマン家は都市の裕福な新興ブルジョワジーで、然も産業資本家ではなく貿易商。ハイジの主張低音にある「自然に帰れ」(ルソー「エミール」か?)の対極に位置するものだと考えていいんだろうか? で、そのフランクフルトのブルジョワジー家庭には、罰が下って、娘が「足萎え」として産まれている。明らかに、父と祖母は、足萎えを忌避して、フランクフルトを空けている。で、その「足萎え」が、アルプスの神なる「自然」に包まれて治癒する物語。「聖書」で「足萎え」を一瞬で直したのはイエスの超能力だったが、ハイジの世界では、「自然」が癒している。
で、よくわかんないのが、「おばあさま」。原作では、野方図に育ったハイジをキリスト教へ帰依させる役割なんだろ? なぜフランクフルトの家にいない? また孫を治癒しえない??? ばばあが信仰と奇跡の発信源なんじゃないのか??
と言って、辛気くさそうな「ハイジ」の原作を読む気はないんだが。

 経堂「TSUTAYA」で、6巻と最終巻だけ貸出中だったので、そこんとこだけ見れてない。見たかったシーン(「チーズ溶かして黒パンにのっけて喰うところ」「ヨーゼフがカタツムリ喰うところ」「ペーターが木工細工を憶えて自作の競争用ソリで勝つところ」「ヨーゼフが無意味に土を掘り返すところ」)は見れたので、もういいんだけどさ。

39年振りに見たハイジ、面白かった。なるほど、名作。

ハイジ (上) (岩波少年文庫 (106))

ハイジ (上) (岩波少年文庫 (106))

ハイジ (下) (岩波少年文庫 (107))

ハイジ (下) (岩波少年文庫 (107))