雨の降る品川驛(初稿?)

ハングル訳でのみ現存する初稿があったようだ。


中野重治「雨の降る品川驛」

御大典記念に 李北満・金浩永におくる


辛よ さやうなら
金よ さやうなら
君らは雨の降る品川驛から乗車する


李よ さやうなら
も一人の李よ さやうなら
君らは君らの父母の國にかへる


君らの國の河はさむい冬に凍る
君らの叛逆する心はわかれの一瞬に凍る


海は夕ぐれのなかに海鳴りの聲をたかめる
鳩は雨にぬれて車庫の屋根からまひおりる


君らは雨にぬれて君らを逐ふ日本の天皇をおもひ出す
君らは雨にぬれて 彼の髪の毛 彼の狭い額 彼の眼鏡 彼の髯 彼の醜い猫背をおもひ出す


ふりしぶく雨のなかに緑のシグナルはあがる
ふりしぶく雨のなかに君らの瞳はとがる


雨は敷石にそゝぎ暗い海面におちかゝる
雨は君らのあつい頬にきえる


君らのくろい影は改札口によぎる
君らの白いモスソは歩廊の闇にひるがへる


シグナルは色をかへる
君らは乗りこむ


君らは出發する
君らは去る


さやうなら 辛
さやうなら 金
さやうなら 李
さやうなら 女の李


行つてあのかたい 厚い なめらかな氷をたゝきわれ
ながく堰かれてゐた水をしてほとばしらしめよ
日本プロレタリアートの後だて前だて


そして再び
海峡を躍りこえて舞い戻れ
神戸 名古屋を経て 東京へ入り込み
彼の身辺に近づき
彼の面前にあらわれ
彼を捕え
彼の顎を突き上げて保ち
彼の胸元に刃物を突き刺し
返り血を浴びて
温りある復讐の歓喜のなかに泣き笑え

(「中野重治詩集」初稿? 1928年?)



印刷後没収され、一冊のみ残るという「ナップ版」へ。
(「ナップ版」は、「ナウカ版」と異同はない)

参照:
2011-01-11 雨の降る品川驛(ナウカ)
2011-01-12 雨の降る品川驛(小山書店)
2011-01-13 雨の降る品川駅(筑摩書房)
2013-02-18 SHINAGAWA STATION IN THE RAIN