中年について

四十年の歳月がむらがりよせ、きみの顔を包囲して、
その美しい戦場に深い塹壕をほってしまえば、
いま、みんなが見とれているきらやかな青春の装いも、
ろくに値打ちのないぼろ服同然としか見てもらえなくなる。

また、けわしい天の丘陵にのぼりつめ、中年に達して
なお、屈強な若者のおもかげをうしなわぬ姿を見れば、
ひとびとの眼ざしは、やはり、その美しさを賛美して、
黄金の光をはなつ旅の姿を見まもるのです。
ところが、天の頂上をへて、つかれた手で車をあやつり、
弱々しい老人のように、昼の世界からよろめきおりてくると、
人びとは(これまではうやうやしげであったのに)
おちぶれた姿から目をそらし、そっぽをむいてしまう。

シェイクスピアソネット集」ISBN:4003220552


When forty winters shall besiege thy brow,
And dig deep trenches in thy beauty's field,
Thy youth's proud livery so gazed on now,
Will be a totter'd weed of small worth held:

Shakespeare "Sonnet 2"

And having climbed the steep-up heavenly hill,
Resembling strong youth in his middle age,
Yet mortal looks adore his beauty still,
Attending on his golden pilgrimage:
But when from highmost pitch, with weary car,
Like feeble age, he reeleth from the day,
The eyes, 'fore duteous, now converted are
From his low tract, and look another way:

Shakespeare "Sonnet 7"





 男性の中年期の衰えについて詠った詩歌ってないような気がする。男性の中年は衰えとして捉えられなかったのだろう。シェイクスピアソネットは、若い男に「キミは、今は若いからキレイなんだけど、四十過ぎると汚くなるんだよ、今のうちに結婚して息子をつくりなよ」と語る形式。「友愛」だ、「同性愛」だの論争があるそうだが、同じことだろう。
 赤塚不二夫も「41歳の春だから」と区切っていたが、シェイクスピアも「40歳」という数字を出している。加齢が衰えとして自覚されだす年齢なのだろう。
 加齢だけを理由に年下のクズども(既に若くもないただのクズ!)からも舐められ出す年齢でもある。デスクワークだけを十年以上もやってきたようなホワイトカラーの30代と格闘して負ける気はしない。だが、本当のところは、そろそろ危ないのかもしれない。実戦してみるまではわからないのだが、自覚しておいた方が良さそうだ。負けるにせよ、まだ耳のひとつくらいは引きちぎれるだろうが。


 女性に於ける加齢の衰えについて詠った傑作は、小野小町だろうか?

花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に

この時代でも鏡を覗きながらの嘆息だったのか? あるいは、周囲の反応からの類推? 両方か。