民青1969


東大駒場に関していえば、12月に入ると第八号館が全共闘によって封鎖され、やがてその前で革マル社青同解放派とが、ヘゲモニー争いをめぐって壮絶な内ゲバを始めるまでになっていた。そこにピッチングマシーンで投石をしかけてくる民青が加わり、学生運動の内側で露骨に暴力が台頭するようになっていた。
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(1969年)1月に入ると、東大本郷の状況はますます混沌としたものとなっていた。来年度の入学試験の中止が、発表された。構内を占拠した全共闘の学生たちはもはや細々とした大学内部の諸要求を掲げることをやめ、「帝大解体」を叫び、文化大革命のスローガンであった「造反有理」の四文字を正門の柱に大書していた。これに対して、ストライキ解除を要求する民青が連日にわたって攻撃を繰り返していた。「九十年にわたる東大の民主的・進歩的伝統」を守るというのが、彼らの主張だった。

四方田犬彦「ハイスクール1968」ISBN:4103671041)





「ピッチングマシーンで投石」。
ストライキ解除のための攻撃」。
民青ってそういう組織だったんだ。

大学の時に革マル派の人から聞いた話では、その当時、民青だけは、樫材のゲバ棒を使っていたんだそうだ。それで殴られるととっても痛かったんだって。