チベット密教の現役信者・中沢新一



中沢新一からオウム信者へ宛てた手紙が公開(転載?)されている。
オウム真理教信者への手紙』 中沢新一(「週刊プレイボーイ」*95年5月30日号 p.45〜48)
http://sky.ap.teacup.com/takitaro/338.html

オウムという教団が日本から消滅した時、生きる意味を知ろうとした信者の <魂>の問題はどうなるのか。「帰ってらっしゃい」という“説得”どおりに家に戻るだけか。「ひとりで歩め」。中沢氏はそう呼びかける。学者や研究者としてではなく、彼らと 同じように<魂>を、<真理>を追い求めたものとして − 。

 中沢新一の場合にも、私と似たところがある。中沢も、宗教学の研究をしているなかでチベット密教の世界に飛び込み、修行者としての生活を続けてきた。元々は信仰のなかった人間が、宗教学の研究の一環として宗教の世界に入り込み、その世界に感化されたという点で、私と中沢は共通している。ただし、私と中沢とのあいだには大きなちがいがある。私がヤマギシ会の元信者であるのに対し、中沢は今もチベット密教の現役信者である。

島田裕巳「オウムーなぜ宗教はテロリズムを生んだのか」
ISBN:4901510002

なるほど。同じ信仰を持つ者として語りかけているのだ。
 気になるのは、「オウム真理教って、チベット密教だったの?」という点。事件当時、立花隆が「オウムの教義は、小乗→大乗→金剛乗と変わって来た」と語っていたおぼえがある。初期の小乗的仏教のままなら、中沢新一の同じ信仰を持つ者としての語りかけは正しいのだろうが、その教義が中沢が取材したようなものとは違って来ていたら? 「ひとりで歩む」は、信仰的にあり得ない話だろう。

 しかし、どうにも中沢新一というと、四方田犬彦が書いていた話が思い浮かぶ。(「クリティック」ASIN:B000J73ZCO だったか? 図書館で読んだので曖昧)
中沢新一は、真理なぞ説こうとしてない。彼は偽書を書いたのだ。大体、『チベットモーツァルト』と言いながら、ネパールで修行しただけなのだ。ネパールとチベットは、違う。ネパールをチベットと言い張るようなウソをウソとして並べたのが、”ウソつきシンちゃん”の本だ。真理が知りたい者は、藤原新也でも読め。藤原新也は、ウソな日本を相対化するためにインドまで行って、インドで真理を見つけて、『俺ぁ、インドで観て来たんだけどよぉ、本当の人間ってぇのはなぁ、兄ちゃんたちは知らねえだろうけど、ああだよ! ほらっ! もう一杯呑め!』と、幾分、飲み屋でくだまく全共闘世代的肉体派のたちの悪い酔っ払いのおっさん風*)ながらも迷妄にあえぐ若者大衆に真理を述べ伝えてくれている。『写真』なんていう『真を写す』メディアを同伴しながら! 中沢新一藤原新也とはちがう」というような大意だった。
(元の本には当たってません。内原恭彦さんも同じような主旨で記憶していたから、間違っていないと思う。僕の”大意”は、誇張がしてありますが)
 ネパールへ行ってチベットをめぐる偽書を綴った人間が、オウム真理教信者に対して同じ信仰を持つチベット密教信者として語りかけている????????
 ナイーブに信じていいのかね????


あと、面白い話を見つけた。「坂本弁護士事件」直後に、中沢新一麻原彰晃は「SPA!」紙上で対談しているが、当時の「SPA!」編集長は、東大宗教学研究室の中沢の後輩で、島田裕巳の同期だそうだ。へぇー。その上、四方田犬彦も島田らと同期。へぇー。

 中沢と麻原の対談を載せた『週刊SPA!』の編集長の渡辺直樹は、東大宗教学研究室の中沢の後輩で、私とは同期にあたる。私は大学の四年生のとき、「新宗教運動の調査研究」というゼミに参加し、それがヤマギシ会とのかかわりに結びついていくことになるのだが、渡辺も、やはり同期であった四方田犬彦とともに、高橋信次を教祖とするGLAを調査した。

島田裕巳「オウムーなぜ宗教はテロリズムを生んだのか」
ISBN:4901510002