知識人vs文化人


21世紀初頭、ひとつの戦いに決着がついた。ふたつの勢力によるひとつの戦いが終わった。ひとつの勢力の勝利と、もうひとつの勢力の寂滅。
文化人という勢力が勝利し、知識人という勢力が敗残した。
文化人とは、とるにたりない知識人ということだ。学問を嫌い、研究より交友関係を重んじる人々だ。学問を嫌い研究を疎んじながらも、手を汚すことを嫌うが故に、安定した職種として研究職につきたがる人々のことだ。コメンテーターのことだ。「研究」のことだ。口当たりのいいリーズナブルな言説を姑息な流通手段で配信しつづける者たちのことだ。アンリーズナブルなものの敵だ。

いわばこの戦いは、知識人内部の抗争だったのだろう。「大衆文化」の旗印のもとに台頭したのがとるにたりない知識人=文化人だったのだろう。サルトルフーコーたちが知識人について書いていたのは、1960年代だったのだろうか? おそらくはその頃文化人の勢力が無視し得ないものとなっていたのだろう。
エリック・ホッファーが知識人への罵倒を書き付けていたのもその頃か? ホッファーの罵倒は、知識人の無用さとその無用さにも関わらず彼らが示す支配したがる傾向にむけられていた。文化人は、知識を失った知識人だが、知識人としての傾向は維持している。知識はもちあわせていないにもかかわらず支配/管理だけはしたがり、何も知らないにも関わらず影響だけは維持したがるのが、文化人だ。だからこそ彼らは交遊を重んじるのだろう。広く浅い交友関係さえあれば、なにはなくとも影響力は維持できるから。

いなくなった者のことはどうでもいいだろう。彼らが正しかったのかどうかも今となってはわからない。今わかっているのは、文化人という知識はないが友達だけは多い支配したがる人々が、彼らのマトリックスでもある知識人同様に無用であることだけだ。

夏目漱石が「草枕」を書いたのが、三十八歳の時。高橋和己が死んだのが、三十九歳の時。十五歳の頃の僕らの視界にはいっていた知識人は、今の僕らの年齢だったのだ。