「佐村河内守」のことを思っている


佐村河内守のことを思っている。
失敗した詐欺師。
譜面が書けない以前に、演奏できない以前に、ひょっとするとそもそも音楽を聴き取る能力がまるでない可能性がある人。加えて、どっかで自分名義の曲が、本気で自分が作った音楽であるような気がしてきてしまった人。自伝では新垣隆が生きた音楽教育エリートの人生を自分が生きた人生として書いているが、本人がそれを寧ろ本気で信じ込んでしまっていたのかもしれない、とちょっと思っている。「全聾だが絶対音感を有した悲劇の天才作曲家」っていうストーリーに、真っ先にダマされていたのが、交響曲をまともに聴き取ることすらできなかった詐欺師本人だったのかもしれない。
その詐術で一発当てて、買ったマンションが、2000万円の中古マンションだったっていうのもなにか哀しい。
「なにそれ?」ってほどにバカバカしい喜劇なんだが、なにか笑い切れない惨めな哀しさがつきまとう。まさに喜悲劇?

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夢を見た。
佐村河内守」が、佐村河内守新垣隆、二人の共同ペンネームになって、新垣隆の現代音楽が、『そしてフクシマへ 〜 魂の新たな旅立ち』とかってタイトルになって、世界中で演奏される、って夢。
なぜか良い夢だった気がしている。



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この「佐村河内守」って人を思っているとどうしてもやはりオーソン・ウェルズが思い浮かんでしまう。詐欺からはじめて詐術を振り切っちゃった偉人。

オーソン・ウェルズも生涯シェイクスピアに拘泥しつづけた人だけど、どっかでやはり英国演劇の本流ではありえなかったフェイク。シェイクスピアがどこまでもB級映画っぽいから、やはり「演劇人」としてはイカモノだったのだろうが。
イカモノだったが」の後があったのがウェルズで、どうもなさそうなのが「佐村河内守」かな? 「イカモノだったが」の後が重要な訳だが、多くの人は、「佐村河内守」が達した「イカモノだった」って段階にすら達しないで果てることも確かな話。