漱石鼻毛原稿プロジェクト(案)



夏目漱石「我が輩は猫である」に、鼻毛をむしっては原稿用紙に植えるエピソードが出て来る。
この「鼻毛付き原稿用紙」を再現しよう、というプロジェクト。


1)無名時代の漱石の原稿なので、「漱石山房」の原稿用紙は避けたい。「猫」時代の原稿用紙の再現が望ましい。
http://www.kyoshi.or.jp/j-huuten/nihonha5/02.htm


2)「猫」は、四百字詰めの原稿用紙に万年筆書きのようだが、墨を使った毛筆。


3)内容。
1:筆太に「香一しゅ」→抹消
2: 改行して、「さっきから天然居士てんねんこじの事をかこうと考えている」。その下に落書き。「丸をかいた。丸の中へ点を二つうって眼をつける。真中へ小鼻の開いた鼻をかいて、真一文字に口を横へ引張った」→塗り消す
3:改行して、「天然居士は空間を研究し、論語を読み、焼芋やきいもを食い、鼻汁はなを垂らす人である」→「鼻汁はなを垂らす」を三本の線で消し、さらに横棒をいれて消す。(この横棒は、行をはみ出る)→「焼芋やきいもを食い」を抹消→「天然居士は空間を研究し論語を読む人である」に落ち着く。
4:空白部分へ、文人画風の「蘭」の絵を描く
5:原稿用紙裏面へ、「空間に生れ、空間を究め、空間に死す。空たり間たり天然居士噫」と書く。(中央部へだろうか? 書式不明)


4)さて、問題の「鼻毛」だが、原稿用紙表面に植える(位置不明)
本数は、四五本だろうか?
色が重要で、赤、黒、茶系、そしてひときわ太くて長い白。


5)漱石の毛筆の書体の中から、該当する文字をコピーしてペーストするの理想だが、果たして揃うんだろうか? 「猫」の原稿は、万年筆で書かれているから、なんらかの字体模写が必要になってくるかもしれない。



吾輩は猫である」の該当部分は以下。

 今日は上天気の日曜なので、主人はのそのそ書斎から出て来て、吾輩の傍へ筆硯と原稿用紙を並べて腹這になって、しきりに何か唸っている。大方草稿を書き卸す序開として妙な声を発するのだろうと注目していると、ややしばらくして筆太に「香一しゅ」とかいた。はてな詩になるか、俳句になるか、香一しゅとは、主人にしては少し洒落過ぎているがと思う間もなく、彼は香一しゅを書き放しにして、新たに行を改めて「さっきから天然居士の事をかこうと考えている」と筆を走らせた。筆はそれだけではたと留ったぎり動かない。主人は筆を持って首を捻ったが別段名案もないものと見えて筆の穂を甞めだした。唇が真黒になったと見ていると、今度はその下へちょいと丸をかいた。丸の中へ点を二つうって眼をつける。真中へ小鼻の開いた鼻をかいて、真一文字に口を横へ引張った、これでは文章でも俳句でもない。主人も自分で愛想が尽きたと見えて、そこそこに顔を塗り消してしまった。主人はまた行を改める。彼の考によると行さえ改めれば詩か賛か語か録か何なんかになるだろうとただ宛もなく考えているらしい。やがて「天然居士は空間を研究し、論語を読み、焼芋を食い、鼻汁を垂らす人である」と言文一致体で一気呵成に書き流した、何となくごたごたした文章である。それから主人はこれを遠慮なく朗読して、いつになく「ハハハハ面白い」と笑ったが「鼻汁を垂らすのは、ちと酷だから消そう」とその句だけへ棒を引く。一本ですむところを二本引き三本引き、奇麗な併行線を描く、線がほかの行まで食はみ出しても構わず引いている。線が八本並んでもあとの句が出来ないと見えて、今度は筆を捨てて髭を捻ねって見る。文章を髭から捻り出して御覧に入れますと云う見幕で猛烈に捻ってはねじ上げ、ねじ下ろしているところへ、茶の間から妻君が出て来てぴたりと主人の鼻の先へ坐わる。「あなたちょっと」と呼ぶ。「なんだ」と主人は水中で銅鑼を叩たたくような声を出す。返事が気に入らないと見えて妻君はまた「あなたちょっと」と出直す。「なんだよ」と今度は鼻の穴へ親指と人さし指を入れて鼻毛をぐっと抜く。「今月はちっと足りませんが……」「足りんはずはない、医者へも薬礼はすましたし、本屋へも先月払ったじゃないか。今月は余らなければならん」とすまして抜き取った鼻毛を天下の奇観のごとく眺めている。「それでもあなたが御飯を召し上らんで麺麭を御食べになったり、ジャムを御舐めになるものですから」「元来ジャムは幾缶舐めたのかい」「今月は八つ入りましたよ」「八つ? そんなに舐めた覚えはない」「あなたばかりじゃありません、子供も舐めます」「いくら舐めたって五六円くらいなものだ」と主人は平気な顔で鼻毛を一本一本丁寧に原稿紙の上へ植付ける。肉が付いているのでぴんと針を立てたごとくに立つ。主人は思わぬ発見をして感じ入った体で、ふっと吹いて見る。粘着力が強いので決して飛ばない。「いやに頑固だな」と主人は一生懸命に吹く。「ジャムばかりじゃないんです、ほかに買わなけりゃ、ならない物もあります」と妻君は大いに不平な気色を両頬に漲らす。「あるかも知れないさ」と主人はまた指を突っ込んでぐいと鼻毛を抜く。赤いのや、黒いのや、種々の色が交じる中に一本真白なのがある。大に驚いた様子で穴の開くほど眺めていた主人は指の股へ挟んだまま、その鼻毛を妻君の顔の前へ出す。「あら、いやだ」と妻君は顔をしかめて、主人の手を突き戻す。「ちょっと見ろ、鼻毛の白髪だ」と主人は大に感動した様子である。さすがの妻君も笑いながら茶の間へ這入る。経済問題は断念したらしい。主人はまた天然居士に取り懸かる。
 鼻毛で妻君を追払った主人は、まずこれで安心と云わぬばかりに鼻毛を抜いては原稿をかこうと焦せる体であるがなかなか筆は動かない。「焼芋を食うも蛇足だ、割愛しよう」とついにこの句も抹殺する。「香一しゅもあまり唐突だから已やめろ」と惜気もなく筆誅する。余す所は「天然居士は空間を研究し論語を読む人である」と云う一句になってしまった。主人はこれでは何だか簡単過ぎるようだなと考えていたが、ええ面倒臭い、文章は御廃しにして、銘だけにしろと、筆を十文字に揮って原稿紙の上へ下手な文人画の蘭を勢よくかく。せっかくの苦心も一字残らず落第となった。それから裏を返して「空間に生れ、空間を究め、空間に死す。空たり間たり天然居士噫」と意味不明な語を連ねているところへ例のごとく迷亭が這入って来る。迷亭は人の家も自分の家も同じものと心得ているのか案内も乞わず、ずかずか上ってくる、のみならず時には勝手口から飄然と舞い込む事もある、心配、遠慮、気兼、苦労、を生れる時どこかへ振り落した男である。

夏目漱石「我が輩は猫である」)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/789_14547.html