「市民ケーン」と「ソーシャル・ネットワーク」



複製技術時代のメディアは、「新聞→ラジオ→映画→TV→ネット」と進行して来た。
 オーソン・ウェルズは、「新聞」が新興メディア「ラジオ」に追撃されてる時代に、演劇から横滑りに入り込む。それが「ラジオ」から発したものであるがゆえ、オーソン・ウェルズのラジオドラマ「宇宙戦争」について、「新聞」はあらぬスキャンダルを書き立てた。
オーソン・ウェルズは、そのまま「ラジオ」に留まることをせず、さらに次の段階のメディア「映画」へと流れる。24歳のオーソン・ウェルズが監督した「市民ケーン」は、年老いた「新聞王」がすべてを失った挙げ句に惨めな孤独死を遂げる有り様を「映画」ニューススタッフが取材するという体裁で、描かれたもので、これまた「新聞」から総圧力をかけられた。危うくネガを焼却されるところだった。
 さて、「ソーシャル・ネットワーク」は、「映画」が2段階前のメディアとして認識されているような21世紀に、新興メディア「ネット」を「映画」の側から描いた映画。恋人に見下され、オーセンティックな上流社会からも閉め出されたナードが、妄執に駆られつつ奮起し、周囲を逐一排除していきながら、ついにはひとり勝ちを手中にする映画。ある意味、サクセスストーリー? いやしかし、この映画の主人公は、26歳の若き王様として「ネット」に君臨しながらも、皆から忌み嫌われ、友人知人から訴追され莫大な賠償金をつきつけられ誰からも愛されない。ある意味、「若きネット王は金持ちだが、その為になにもかも失ったイヤな奴で...モゴモゴ」とあたかも実話である素振りでスキャンダルをまき散らしている映画。いわば、時代遅れな後期高齢メディアが、新興メディアにつきつけた嫌味だろう。そして、この動きは、24歳のオーソン・ウェルズが老王の衰弱死を描いた「市民ケーン」にちょうど逆行していると言える。
まあ、「映画」の臨死宣言なんだろうなあ。





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