山崎元の屁理屈


山崎元さんの評論は好きだ。
明快な論理、冷静な分析、愚はおかさないように諭すが、冒険することも恐れない態度。相撲好き、ポクシング好き、カメラ好きなところも嬉しい。いつも楽しんで読ませてもらっている。

さて、「山崎元のマルチスコープ」に「「解雇解禁」特集号で大事な3つの論点」という記事が出ていた。「タダ乗り正社員が週刊ダイヤモンドの顧客だろうに、重要顧客を敵にまわすような特集組んじゃっていいの?」と素敵な冒頭ではじまる文章だ。
「解雇解禁」の是非には踏み込まずにおこう。
僕自身が、「失われた十余年」を日雇い派遣を含む最底辺賃労働者として過ごした人間なので、「まっとうな労働条件で正規社員として過ごせたならば...」という恨みつらみは消えがたくあり、冷静になんてなれる訳もないし、なる必要もないだろうと思っている。
とりあげたいのは、4頁目にある湯浅誠内閣府本府参与のコメントに体するコメントの部分
面倒だから引用しちゃう。

湯浅誠内閣府本府参与は、先ず「政府の改正派遣法案については、基本的には通すべきだと考えている」と述べ、その理由として「派遣の規制を緩める社会的条件は、今のところ整っていない」と指摘されている(p42)。
 特集の中心である正社員の解雇についても以下のように述べている。
「正規の解雇についても同様、将来は規制緩和がありうるとしても、雇用の不安定を生活の不安定に直結させないための仕組みができ、その整備がなされたという社会的合意がなければ、受け入れられるものではない」
 後者は、「解雇条件の緩和に対応したセーフティーネットの整備が十分になされた後でなければ、正規労働者の解雇条件の緩和はダメだ」と言い換えることが出来そうだ。これは、なかなか微妙な言い回しだが、その検討の前に、貧困問題や非正規労働を巡る問題をよく知る湯浅氏のような方が、正規の解雇について、「将来は規制緩和がありうる」と何らかのメリットを認めておられることには注目しておきたい。
 さて、次のように考えてみよう。仮に、「A+Bの実現」が大変望ましいとする。「A単独の実現」は、「A+Bの実現」ほどには好ましくないが、何も実現しないよりは好ましいとしよう。この場合、望ましい「Bの実現」が伴わないことが、Aの実現に反対することの理由になるだろうか。
 Aは解雇規制の緩和、Bはセーフティーネットの充実だ。
 Bが実現しないことは残念だが、だからといって、Aも実現しない方がいいということにはならない。



この論法はとても素敵だ! よだれが出ちゃう。
大体からして、屁理屈ってものすごく好きなタチなんだが、この論法はいくらでも応用が利く。いくらでもなんにでも使える。原理、段階、現状分析等、無関係に使える。ものすごく汎用的。


重要なのは、

さて、次のように考えてみよう。仮に、「A+Bの実現」が大変望ましいとする。「A単独の実現」は、「A+Bの実現」ほどには好ましくないが、何も実現しないよりは好ましいとしよう。この場合、望ましい「Bの実現」が伴わないことが、Aの実現に反対することの理由になるだろうか。

の部分。わざわざ論理式的なものに簡略化してくれてるから、テンプレートとして使うって手もありそう。


なんにでも応用が利く。
例えば、

A:月へ移住するのも良い、B:月で生活できる技術が開発されたなら

と提示されたら、
「普通なら月に住もうなんて思わないだろうに、『移住するのも良い』ってことは、移住する事になにかのメリットを見つけているのだろう」と補足しておいて、

「A+Bの実現」が大変望ましいが、「A単独の実現」は、「A+Bの実現」ほどではないが、何も実現しないよりは好ましい。この場合、望ましい「Bの実現」が伴わないことが、Aの実現に反対の理由にならない。

とつづけて、
「だから月へ移住しよう!」とか。

あるいは、買って欲しいものをねだる時にはとても使い易い。
「A:ドラムセットを新調しても良い、B:成績が学年で一番になったら」
と言われたら、
「『しても良い』って言ってるってことは、新調することになんかのメリットを見つけてるんだよね?」と補足して、

「A+Bの実現」が大変望ましいが、「A単独の実現」は、「A+Bの実現」ほどではないが、何も実現しないよりは好ましい。この場合、望ましい「Bの実現」が伴わないことが、Aの実現に反対の理由にならない。

「だから、今すぐ新しいドラムセットを買ってよ!(成績のことは、まあいいじゃん)」とか。

こういうのもアリか。
「A:セックスしても良い、B:あなたがジュード・ロウになれたなら」
とやんわり(=ハッキリ!)断られようとも、
「人妻であるあなたが、『良い』と口にしたってことは完全に『イヤだ』ってことでもないんでしょ?」と食い下がり、

「A+Bの実現」が大変望ましいが、「A単独の実現」は、「A+Bの実現」ほどではないが、何も実現しないよりは好ましい。この場合、望ましい「Bの実現」が伴わないことが、Aの実現に反対の理由にならない。

とつづければ、
「だから、とりあえずどっか入ろう!」と結論される。




便利な論法だよなあ、こういうの大好き。(皮肉じゃなくね)
早く実践で使ってみたくてたまらない。
(この論法で説得できる人がいるのかどうかは自信ないけど)