壁と卵


Please do allow me to deliver a message, one very personal message. It is something that I always keep in mind while I am writing fiction. I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall: rather, it is carved into the wall of my mind, and it goes something like this:

“Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg.”

Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg. Someone else will have to decide what is right and what is wrong; perhaps time or history will do it. But if there were a novelist who, for whatever reason, wrote works standing with the wall, of what value would such works be?

http://www.47news.jp/47topics/e/93880.php

「壁と卵が対峙していたら、卵に側に立つ。どんなに壁の側が正しくとも」
村上春樹ってこんなこと考えてるんだ。そういえばそんなことを書いてたような気もする。
でもこの人、「壁に勝てる」とは思ってないし、思ったこともない。すでに「壁と卵」っていう比喩でもそのことを告白してる。「僕は、壁を前にした卵みたいなものなんだ。やれやれ」と壁を前にすねつづけている連中が卵なのだろう。「壁に体当たりしてもこっちが割れるだけ。自分が大事」と自己保身に理由が付き、「だから長いものに巻き付け」とタテ社会擁護論を塗り固める。システムを「壁だ! 近寄るな! わしらは卵じゃ。壁に近づいてもよいことはないぞえ。静か〜に、大人しい〜に。」と諭して、ひそかに卵の首長になりたい人びと。被害者根性の権力者志向。いっぱいいるよなあ。そいつらが「卵」だ。権力志向の卵たちが日々築き上げ塗り固め迷信と恐怖で人びとを卵へと変え、もろくかすかすなシステムが鉄壁の壁になる。大概の素材は、卵よりは丈夫だもんな。
村上春樹が、そんな「卵」と自分を規定している人たちの側に立っていることは間違いない。


「壁を前にすね続ける卵に肩入れした小説」。
そんなもの読みたくなくなったから村上春樹読むのやめたんだろう。


こうしてみると、ブラック・パンサーの側に立って、「白人は死ね」とか言ってるアジテーターの意図的な誤訳を受け流し、「まったくその通りのことが言いたかったのだ」と言い切ったジュネは凄い小説家だったんだなあ。
「壁? あなた方は戦士だ。壁は崩せ。壁作ってパレスチナ人爆撃してる卵は潰せ」。