中国残留日本人三世


馳星周「長恨歌」を読んでる。「不夜城」の第三部。
「中国残留孤児三世」の話が出て来た。荒れ狂う最下層民として。

八十年代からはじまった中国残留孤児の日本への帰国。親や親戚が見つかった連中はまだましだったが、そうじゃなかった人間の日本での暮らしは最低と呼べるものだった。一世のほとんどは壮年の域を通り越しており、日本語を学ぶのにも苦労する始末だったし、二世や三世は比較的容易に日本語を身につけても、大陸では絶対的な権威を誇っていた親の失墜を目の当たりにした。差別に翻弄され、多くの二世、三世たちは暴力を駆使して金を稼ぐ道を選ぶようになったのだ。

ISBN:4043442076


僕の知ってる「中国残留日本人三世」は、中国で教育大学出て、日本でも大阪の方の大学史学部出たと言ってたが。ウソだったのかもしれないな。釣り銭の計算間違う程の白痴ぶりだったし。
日本名は、「山口」と言った。年齢は僕の十くらい上か。来日二十年? 言われなきゃ、普通に中国人に見えた。祖父が日本人だったらしい。日本語、下手。っつうか、電話で通話できないレベルだから、「日本人」として接客交渉のある仕事に就くことは無理があった。にもかかわらず、なんか自分のことを「不遇な偉い人」だと思ってる節があるんだよね。使えねえ無駄に歳とったオッサンの見本みたいな男。結婚してて、奥さんは中国人。彼の娘は戸塚中学に通っていると言ってた。あれから8年。もうそろそろその娘さん(四世?)も二十歳過ぎ。どうしてんのかねえ。


「残留孤児」が、ニッポン社会の最下層ならば、僕はまさしくニッポンの最下層に働いていた訳だ。
まあ、野球賭博にハマって破産した元ラーメン屋に、鑑別所上がりに、亡命ミャンマー人に、中国残留日本人三世に・・・って連中が働いてるのは、ニッポンの最下層だったんだろう。