これはいいが、あれはわるい


スネークマンショーは、今や聴くに耐えない。面白くもないしそもそも的が外れてるし二十年を越せるだけのものでもないし古典足り得ないしなんにせよどうしようもない。つまらん。当時も大して面白くなかった。
そして、彼らが「音楽評論家」を揶揄しようとしたコントは、そもそも揶揄たりえてない。
大体、「いいものもあるが、わるいものもある」などと、評論家が発言する訳がない。
評論とは、そもそも「これはいいが、あれはわるい」を言うことだ。なにがよくて、なにがわるいか。それを指名せずに、「いいものもあれば、わるいものもある」・・・。
「まあ、そんな評論家はありえないでしょ?」で終りだ。
面白くないもの。
面白くもないし批判にもなってない、「いいものもあるが、わるいものもある」とか言って、「だから評論家はダメなんだよ!」などと盛り上がれるのは、不勉強な雑誌校正係とかくらいのものだろう。

レコード会社のスケジュールの都合ででっちあげられた「増殖」というレコードが、当時のレコード評に載らなかったとしたら、なんのかのと言って、80年当時のレコード評論家たちは、批評をある程度以上はまっとうしていたことの証左かもしれない。すなわち、「YMOがスネークマン・ショーと一緒にやる必然はないし、やっても無意味だ。演芸としても面白くない」として、『増殖』を「問題外」か「問題外の外」と評価して、何も書かなかったということだから。実に真っ当な評価だろう。
(スネークマン・ショーとYMOが共演することの意味の無さに苛立ち観衆を怒鳴りつけ主催者小学館篠山紀信を怯えあがらせスポンサー撤退させた「写楽祭」の坂本龍一の方がよっぽどなにかだっただだろう。このイヴェントについては当時もいろいろ書かれていた。当時の評論家は、『増殖』は「問題外」、「写楽祭」は「問題」と評価したということか。至極正しい。)



しかし、「ドカベン」に、「増殖」に・・・・。つまらなさそうなものばかりとりあげる「つまんないもの評論家」とでもいうべき連中っているもんだ。「つまらなさそうなものについてつまらなく語る人のこと」。三十過ぎるとつまらんものについてかたりたくなるものなのかね? もうちょっと勉強すりゃあよかったんだ、学校行ってる時に。行った学校も悪かったんだろうなあ。