学校から授業ガイダンス用のレジュメが送られて来た。
授業名「21世紀について」 山田大輔
人間は、何でも自由に見聞きしているようでいて、実は自分が見たいものしか見ていないし、聴きたいことしか聞いていない(または聞こうとしない)ものである。
写真や映画などはそれがもっとも鋭く現れる。作者が観客に見せたいものだけを提示することから成り立っている。そのような映像に対して、見ることはどのようにして成り立つのだろうか。また、そのどの部分を私たちは見て、どの部分を見落としているのか。
具体的に作品を見て考えるだけではなく、見えなくなったもの(商業価値がないと判断され公開されないもの、物理的に劣化したものを)をどう上映して見せるか、復元して見せるか、ということも含めて考えてみたい。
おお。もっともらしい文章。こんな授業やったんだ、へー。
が。
どう考えても僕の文章じゃないんだよね。僕が「私たちは」とか使う訳がない。
この2006年後期だけやった授業は、かなり無茶な内容で、こんなにもっともらしいもんじゃなかったし。
今思い出せるところで、吾妻ひでお「失踪日記」、鴨沢祐仁の話、「ケツ毛バーガー事件」、自殺者数の統計、財政赤字、出版不況、柄谷行人の近代論・・・なんかを扱った。岩井克人のポスト産業資本主義論の話もしたんだっけ?
大筋としては正しいと思ってるし、ポイントとして間違ってなかった部分も多いと思ってる。勿論、間違ってる部分も相応に多かったのだろうが。しかし、間違っていたとか正しかったとか以前に、僕の能力が及ばなかった部分が多すぎてとっても悔しい思いが残っている。
なにより経済についての部分。この「21世紀」についての話をするには、どうしても経済の話ができなきゃいけない。特に岩井克人の調子の良い日本特殊論を含むポスト産業資本主義理論を扱った以上は、どうしてもウォーラーステインに触れずにおられなかった筈だ。
筈だが、できなかった。講義をやってる途中で気づいたもんだから、間に合わなかったんだけどね。
然も内容的に「2008年、21世紀がはじまる」っていう内容だったもんだから、今更もう一度やるのはいくらなんでも間が抜けすぎているし。
そんなこんなで気になりつづけているのだが、未だにウォーラーステインは読んでいない。
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僕の方に残っているレジュメはこんな感じ。
◎授業名
21世紀について
◎授業内容
安倍晋三以外、誰も言いませんが、実は「21世紀」なのです。
21世紀ということは、20世紀は終わっている筈です。しかし、誰も「21世紀の今日は、・・・」と言わないところをみると誰も20世紀が終わったのだということを感じていないということだろうと思います。これは一体どういうことなのか?
答えは、簡単で「20世紀的なものがいまだに存続しているから」でしょう。しかし、「20世紀」が既に6年も前に終わっている以上、「20世紀的なもの」も近いうちに終わる筈です。そして、そのあとが21世紀なのでしょう。では、21世紀的なものは、どんなものになっていくのか? についての授業にしたいとは思っています。
改めて読むと阿呆な文章だね、実に。句点の使い方も間違ってるし。上の「どの部分を私たちは見てどの部分を見落としているのかということも含めて考えてみたい」なんて文章の方がもっともらしくて頼もしい。誰の文章だかしらないけど。
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◎授業名
「ベンヤミンでも読んどく?」 山田大輔
◎
さて、4月からの授業なんだけど、ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」を読もうかなと思ってる。三ヶ月しかないから全部は読めないんだろうけど、読んで損ない本だし。ほんといってベンヤミンの文章の中で一番良いかというとそんなこともないような気もする。「暴力批判論」の切迫感のある原理論とか、「ボードレール」の資本主義消費社会の汚濁の深奥部にまみれて書いてるヘンな批評の方がずっと良い。でもまあ写真に関係があった方が写真学校の授業っぽいし、日本の写真評論家たちは絶対隠していて言わないようなことをはっきり書いてもいるからこれかなっていう選択。いや、この文章にしても「写真について」ってよりは「映画について」多くを書いているんだけどね。でも、あの有名な「アウラ」の話の件とかは写真について書いてるし、あながち写真と無関係って訳でもないし。もっとも授業では「ファシズムの推進する政治の耽美主義は、そういうところまで来ているのだ。コミュニズムはこれにたいして、芸術の政治化をもって答えるだろう」の方にバイアスをかけて読ませていくつもりだけど。
あと、テキストには、岩波文庫版「ボードレール」ISBN:4003246322 所収の訳文を使います。こっちの訳文の方が意味が通りやすいから。晶文社版の方はところどころ意味不明で困ってしまう。ちくま学芸文庫から新訳も出てるんだな、こっちも検討してから決めた方がいいかな? でもま、僕は野村修のファンなので、岩波文庫版で。安いしね。
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と、いうような内容なんだが、「どの部分を私たちは見てどの部分を見落としているのかということも含めて考えてみたい」式の文体で書いた方がいいんだろうな。でも面倒くさい。