第一章で見たように、創価学会の会員となった人間たちは、高度経済成長の波に乗って地方の農村部から大都市部へ出てきたばかりで、都市のなかでは、まだ確固とした生活基盤を築くことのできていない庶民だった。彼らは、未組織の労働者であり、社会党や共産党系の労働組合運動の支持者になる可能性のある人間たちであった。
ところが、日本の労働組合は企業別組合を特徴としており、労働運動の恩恵にあずかることができるのは、大企業に就職していた労働者たちだけだった。したがって、大企業の組合に所属していない未組織の労働者は、組合運動にすら吸収されなかった。
その間隙をついたのが創価学会であった。創価学会は、都市部に出てきたものの、労働運動には吸収されなかった人間を入信させるのに成功した。彼らは、労働運動のさらに下に位置づけられ、社会的には徹底して差別されていた。
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都市の下層階級が、創価学会や他の新宗教団に吸収されなかったとしたら、彼らは、都市の周辺に形成されたスラムに流れ着いていたことであろう。
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創価学会の会員となったのは、高度経済成長の波に乗って農村から都会へ出てきた人間たちだったが、その時点で農村に残った人間に利益誘導という政治的救いを差し伸べようとしたのが田中角栄であり、田中派であった。つまり、創価学会=公明党と田中派とは、元々は同じ対象を支持者として取り込んでいったのである。
島田裕巳「創価学会」新潮新書 ASIN:410610072X
(mixiより)
☆なぜか「創価学会」の本を読んでいる。 新潮新書「創価学会」。 島田裕巳っていうオウム事件で日本女子大を辞任した宗教学者さんの本。丁寧な資料集めと冷静な記述。オウムで大学やめなかったらこんな本、書かなかったんだろうなあ、この人。象牙の塔に籠って外界との接触を断ち、毎年数千枚もの学会論文ばかりを紀要に発表しつつ、停年を迎え、宗教学会の主として後進の指導と抑圧に勤める一生を送ったんだろうに。不毛にして裕福な一生。そこからオウムが引っ張り出したとも言える。
☆創価学会の事実上の一代目って、池田大作なんだと思っていた。どうもちがうらしい。二代目の時に組織自体は出来上がっていた様子。ふーん。然も、意外に東京が発祥の地! へー。
一代目が地理学者あがりの学者肌の人で、二代目が元学習塾経営者のやり手タイプ(酔っぱらって講話をしたりするような!)で、攻撃的に布教をして爆発的に信者を増やし、三代目の池田大作の時には、寧ろ信者の子供を信者に取り込むことへと布教の方法がかわってきてるらしい。へー。
☆戦後、ニッポンの下層階級の支持を得て来たのは、都市部では、公明党=創価学会、農村部では、自民党なんだなあ、と感慨深い。すなわち農村部から流れ出た産業予備軍を吸収して巨大化したのが、創価学会であり、農村部に残存した産業予備軍たちが、土建労働者層となって自民党の土建屋行政を支えた。
☆その後、安定した小市民層となった旧産業予備軍層の子供世代が再びフリーター/ニート層として下層社会を形成しつつある訳だけど、今のところ対応できている政党も宗教もない様子。
☆まじで、ムスリムが来るかもしれんとちょっと思っているけど、難しいかなあ。東南アジア近辺までは順調にひろがって来てるんだよね。東アジア圏の儒教的雰囲気にどう対処するかがネックになるかもなあ。