萬暦っぽい赤繪


mixiから)
☆湯のみが欲しい。寿司屋系のでっかい湯のみ。ろくろでひいた奴。こればっかりは、webで買う気になれない。となると、デパートかな? 銀座の? 松屋とか三越とか和光とか。

☆そういや、上京20年、未だ「和光」へ入ったことがない。ネクタイも締めてることだし、40になったし、入ってみるか。

☆万暦赤絵が欲しい。いや、別にほんもんである必要はない。程度のいいニセモノでいいから欲しい。「志賀直哉が持ってた万暦のニセモノ」ってどんなのだったんだろ?

☆だから、「万暦っぽい赤絵」が欲しいんだろうけど。

☆なんでもいいが、webで「万暦赤絵」を検索すると、みょうちきりんなニセモノばっか出て来る。写真でいいから、ホンモンを見せてくれ。そういや、名古屋の実家に陶器の写真集、あったっけ。展示の搬出(撤収だという話もある)が終わったら、名古屋へでも行ってみるか。いや、大阪→京都→奈良へ行きたいんだった。いや、夢のリゾート地:ハワイ、サイパン・・・・。

☆写真は、出光コレクションの景徳鎮。アウラが漂いすぎて皿が見えない、訳ではない。出光美術館が画像をおろしてしまっているので、サムネイルしかない。ケチ。

☆現代陶芸の人で、「っぽい」っていうのやる人いないのかな?
タイトル「萬暦っぽい赤繪」
タイトル「古九谷っぽい大皿」
タイトル「加藤唐九郎より永仁の壷っぽい壷」


加藤唐九郎作「永仁の壷っぽい壷」って、今、どこにあるんだろう? 市場に出たら相当な値がつくような。「永仁の壷」より高値かもしれない。


☆個人的に欲しい「ほんもののニセモノ」
1)志賀直哉が持ってた萬暦っぽい赤繪
2)古今亭志ん生が持ってた巌流島で宮本武蔵がつかった木刀
3)加藤唐九郎が作った永仁の壷っぽい壷


付記:
今、志賀直哉「万暦赤絵」ASIN:4003104633 を読み直したら、志賀直哉は、「万暦赤絵」を持っていない。「万暦っぽい赤絵」を持っていたのは、梅原龍三郎志賀直哉が持っていたのは、「梅原龍三郎が自分で持っていた万暦っぽい赤絵の花瓶にばらをさしたところを描いた絵」のようだ。こっちは、言わば、「ホンモノの梅原龍三郎」の訳だが。
「妻と万暦の話をして、翌日、万暦っぽい皿を買って帰る話」が記憶にある。志賀でないとなると、考えられるのは、犬養道子「花々と星々と」ASIN:B000J9GL28 かな? 道子の父(犬養毅の息子)犬養健の作家時代のエピソード。




犬養健
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E9%A4%8A%E5%81%A5
犬養道子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E9%A4%8A%E9%81%93%E5%AD%90
安藤和津
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%97%A4%E5%92%8C%E6%B4%A5
犬養道子「花々と星々と」ASIN:B000J9GL28 の続編「ある歴史の娘」ASIN:4122024927 の主調低音には、父母の「夫婦不和」があるのだけど、犬養健wikipedia を読むと、その正体が朧げに分かる。道子が日本を離れた年(1948年)に、異母妹:安藤和津が産まれている。なるほどねえ。




加藤唐九郎作「永仁の壷っぽい壷」(永仁銘瓶子)

以下、加藤唐九郎自身による力強い「自讃」。

鎌倉時代 瀬戸瓶子
古瀬戸柳文花瓶
 素地は灰色緻密、釉は透明な黄朽葉色、初期灰釉に多い頽れがある。作りは紐作りで接ぎ合せ、轆轤の上で表面を滑かにしてある。瀬戸瓶子の代表的スタイルでたくましい力を抱蔵してゐる。胴には、奉施入白山妙理權現御寶前 尾州山田郡瀬戸御厨 水埜四郎政春 永仁二甲年十一月 日と彫銘がある。これは西歴一二九四年、鎌倉時代の末期で、蒙古の大軍が我國に襲来した弘安役の直後にあたり、陶藝が衰微の極に達した此の時期の作としては非常に珍しい。また瀬戸の陶器にある年銘では、現在知られてゐる中の最古のものである。(高八寸餘)<深田雄一郎氏蔵>

加藤唐九郎編纂『陶器辞典』(一九五四年)ASIN:B000JB68W4 より
http://www.kurashikata.gr.jp/reading7.html 経由)


「深田雄一郎氏」(の家族)が今でも持っているのだろうか?

○高津委員 今度の永仁のつぼを田辺七六氏が持っていて、それから次の米子市の深田雄一郎氏に渡り、今は名古屋のデパートの主人が持っておる。

第038回国会 文教委員会 第4号
(昭和三十六年二月二十四日(金曜日) 午前十時五十四分開議 午後一時六分散会)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/038/0462/03802240462004c.html

昭和36年の時点で、「名古屋のデパートの主人」に渡っている。

☆☆☆
加糖唐九郎の自伝「かまぐれ往来」ASIN:4103524014 でもなんか適当なことしか書いてなかった覚えがある。けど、絶対「確信犯」。「騙してやろうとして騙した」んだと思う。わざわざ5年も土に埋めたり、自分で作った「古瀬戸っぽい破片」を根津美術館に売ったり、永仁年間の窯跡「松留窯」っていうのをでっちあげて(これまた自作の「古瀬戸っぽい破片」を撒いて偽装してる!)、当時文部技官だった小山冨士夫を連れ回したりしてる。
本気で騙し通せると思っていたのだろうか? もしくは、はじめから「ほんもののニセモノ」を作ってやろうと思って、窯跡のニセモノまで作ったのだろうか? いづれにせよ、東京の実業家(根津美術館って東武鉄道の経営者のコレクションで始まっているんだそうな)を巻き込み、文部技官を巻き込み、国立博物館を巻き込み、メディアを動かし、国会でもとりあげられ、見事な「トラブル」を自演している。「モダン・アート」の地位が異様に低いニッポンの中でこれだけやれれば、「モダン・アート」の作家としては大したもんだ。

☆中国で「モダン・アート」のバブルが起きていると聞いてかなり経つのに、ニッポンには何の余録もない。小泉のせいだという話もあるが、それだけではあるまい。「賃貸不動産物件の又貸業」にばかりせいを出していた”ギャラリスト”たちがはっきり無能だったのだと思う。が、アンティーク系の美術商は、優秀に立ち回っているのだという話も聞く。と、なれば、「モダン・アート」の作家たちの手本は、加藤唐九郎だろう。

☆合い言葉は、「トラブル・イズ・マイ・ビズニス」。