大竹伸朗のホルモン屋


mixiから)
大竹伸朗を見て来た。
つまんなかった。ただ、つまんないながら、辟易とする程の量に不安になった。
 
イラストレーターなんだと思う。80年代初頭、ニューペインティングと並行するようにずっとイラストを描いていた人なんだと。ただ、死ななかっただけで。ただ、世界市場を持たなかっただけで。いや、そんなブーム以前からの行為なのだろう。おどろくほどに一貫性があったから。小学生の時の鉄腕アトムの模写から近作にいたるまで、どれもなんの驚きもなかった。どこかで見た気がする絵ばかりだったからだ。「大竹伸朗」ということで有名なスクラップは言うに及ばず(スクラップなのだから既存のイメージの収集だ)、エレキギターに執着したオブジェに至るまで、何かのイメージをなぞることに異様な執念を燃やしているように思えた。90年代、Just Painting! なものを描いている時期もあるが、それとて寧ろその時期のニッポンでそのような絵こそが絵だとして、イメージ流布していた時期に重なる。廃船も利用したオブジェもまた、「船」の外観を彷彿させるイメージを温存させていた。イメージの再流布。これは、イラストの領分だ。

☆しかし、その驚きも発見もない絵を何枚も何枚も何枚も何枚も見ているうちに、やはり不安になって来た。量への執念に撃たれて? その仕事量への畏敬? 継続=力への感服? それもある。それもあるが、これだけの量をもって、これだけの一貫性でもって美術館を一杯にできる画家は、ひょっとして大竹伸朗以外にはいないのではないか?という不安だ。無論、日本で。ひょっとしてこれがニッポンのトップレベルなのかもしれないという不安だ。画家といえるような画家はいないのではないかという不安。みんな、イラストレーターにすぎない、売れないイラストレーターが画家を僭称しているに過ぎないのではないかという不安。

☆「量が質を決定するというが、質が量を決定するという分野がある」というはなしをどっかで読んだ覚えがある。誰が書いていたのかまるきり憶えていない。おそらくは、マルクス主義が主流だった時代の非マルクス主義者の言なのだろう。
大竹伸朗を見る限り、美術に於いて、量が質を決定しないことは明らかだろう。しかし、質によって量を決定できている画家がひとりでもいるのかと言えば、いないこともまた明らかなような気がした。

☆常設展に横尾忠則の「絵」があった。大竹伸朗の絵を見ながら、ひたすらに思い出していたのは、画家宣言をした頃の横尾忠則の絵だった。どっちがどっちの模倣だとかいう気はない。どっちも当時のニューペインティングの影響ではじめた行為なのだろうから。しかし、この展覧会が、横尾忠則の展覧会だったら、と考えずにはいられなかった。80年代以前、横尾忠則でしかないようなイラストがあった時期があった分、不安にさいなまれることは少なかったかもしれない。そこには、横尾忠則でしかないような「絵」があっただろうから。

☆スクラップブックには、嫉妬をおぼえた。その収集能力にだ。その仕入れルートにだ。
 特権的仕入れルートを持つホルモン屋としての大竹伸朗
 ホルモン屋等の「臓物」を扱う飲食店をやろうと思ってもいきなりはじめることはできないのだそうだ。食肉の廃棄物たる臓物だが、その仕入れるルートを確保するのが難しいからだ。棄てるものであるのに、その手のルートを抑えた者しか入手できない。大竹伸朗のスクラップもその手の入手ルートを感じた。「どこで仕入れてるの??」と。当時の日本のイメージは殆どない。もっと前の時代か、外国のものか。海外のものも同時代のものではあり得ないと思う。新本なり古本で購入して切り刻んでいたとしたら、ものすごい制作費だ。いや、エレキギターからして平気でぶちこわしてオブジェに組み込んでいるのだから、特殊な資金源でもって購入していたのかもしれない。
 創業二十数年のホルモン屋。ホルモンの場合は、咀嚼され消化され糞になって流れてしまうところが、売れなかった故に、腐敗しなかったが故に、現存しつづけているホルモン焼き。仕込みの腕やらなんやらは大したことはない。かなり雑だし、何もしていないに等しいから。しかし、途切れずあれだけの量の材料を仕入れ続けているのは、羨ましい。その仕入れ実績に嫉妬した。

美大生っぽい人がいっぱいいた。この手の「エネルギーだけ! 難しいことはわかりません! 関係ないんだ、理屈なんて!」っていうノリは、美大生に受けそう。