ミュージアムのこと

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10年前のmixi日記読み返したら、平木さんや川崎市市民ミュージアムのことを書いてたのを発見。面白いんで再録。

ミュージアムのこと
2009年02月27日15:18
最初に平木さんにあったのって、はじめて川崎市市民ミュージアムへ行った時。
「おまえか、履歴書に似顔絵貼って来たのって? ワハハハハハ」っていうのが第一声だった気がします。その時は「なんでこのおっさん、そんなことで笑うんだろ?」と思ったのを覚えてます。まあ笑うか。早大漫研の先輩だった細萱さんのコネでミュージアムへバイトで行くことになったんだけど、履歴書のために写真撮るの面倒だったから履歴書の写真貼付のところに似顔絵描いて送ったのでした。今思えば、無茶苦茶だよな。何考えてたんだろ。
バイトとは言いながら、僕は思いっきり遊びに行ってました。
愉しかったよなあ、20年前のミュージアム。マンガがあって、写真があって、映画があって、濱田庄司の皿もあって、ひそかに安田靫彦の「草薙の剣」なんてすごい絵まであったりしました。元妻と知り合ったのもミュージアムの訳だし。いやあ、よく遊んだよなあ。バイトやめてだいぶ経った95年、ひさしぶりにミュージアムに顔出したら、そこらじゅうに僕が描いた落書きが貼ってあって。「・・・・仕事してねえよな、コイツ・・・」とつくづく思いましたです。
いちばん愉しかったのは、MAMA展の準備かな?
予定してた写真部門の展覧会が急に出来なくなって(借りる予定だったコレクションをまるごと創価学会の美術館が買っちゃったんだったと思います)、「スケジュールにふた月穴があく! さあたいへん!」っていうんで、ミュージアムの収蔵品使って一ヶ月ででっちあげたというすごい企画でした。連日終電近くまで作業があって、最後は徹夜だったんじゃなかったっけ? 僕は合宿気分でずっと遊んでました。ホワイトボードに落書きしたり、似顔絵描いたり、写真撮ったり。
平木さんが書く筈の図録原稿があがらないあがらない。平木さんは準備期間中ずっとカンヅメにされてて、それでも終わらなくて、展示終了後ふた月くらい経ってできたんじゃなかったっけ? 個人的には、複製技術時代の芸術史の流れが、すごくわかりやすい良い展示だったと思ってます。あれから大して勉強してないから、僕は、平木さんの「MAMA展」で、近代美術史の流れを抑えてるのかもしれない。まあ、あそこまでばたばたすると身体に染み込んで歴史を覚えますです。身体を酷使するってのは大切なことなのかも。
多摩川河畔でやった「芋煮会」も想い出深いです。
平木さんの奥さんが山形出身で、映画部門の立木さんが東北大出身で、「じゃあ、山形の芋煮と仙台の芋煮をしましょう」ってことで、多摩川芋煮会をしました。竹川さんが持って来た沖縄土産の泡盛をがぶがぶのんで、すげえ酔っぱらって、平木夫人を口説いたような覚えがちらちら。いろいろ思い出すと、なんかむちゃくちゃだよな、あの頃の私。

それにしても愉しかったです、あの頃のミュージアム
あの愉しかったミュージアムの雰囲気を支えてたのが、平木さんだったんだと思います。
平木さん、死んじゃったなあ、と思いながら、いろいろ思い出しました。

経堂「吉野家」について

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 久しぶりに入った吉野家は、お昼時をすぎていたので空いていた。
(中略)
「ナミとタマゴ」
と、言った。
 牛丼の『並』と卵が来ると、私は丼の表面に大地にしみ込む慈雨のように、あまねくトキ卵を広げてかけ、その全体としての味のハーモニーを楽しむべきか、それともご飯の真ん中に石油採掘井戸のような穴を掘り、そこに卵を流し込んで、最初は牛丼を食べていたがある層まで食べ進むと突如濃厚な黄金の卵の鉱脈につき当る、発見と感動に満ちたアプローチを選択すべきかで、しばし思い悩んだ。
 結局、後者をとった。

新井千裕「復活祭のためのレクイエム」1986



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吉野家牛丼再現レシピ

黄金だし10
薄口醤油2
みりん2
白ワイン2
りんごジュース2
砂糖1
塩・味の素・醤油・白胡椒・生姜 各少々

(「吉野家牛丼」作り方 ]より)


www.youtube.com

オーソン・ウェルズの「運び屋」

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自家製ジャンボチキンカツライス


イーストウッドの「運び屋」は、まるきりミスキャスト。加えてイーストウッド監督に撮れる題材でもない。「人生、寄り道、楽しまなくちゃね」とかって感じぜんぜんしないんだもん。イーストウッド、せっかち。じいさんが乗ったトラック、ビューーンってスクリーン横切っていく。よたよた走ってる感、まるでない。


「誰が撮るべきなんだろう?」って考えたけど、老オーソン・ウェルズだ、っていう結論に落ち着いた。
オーソン・ウェルズなら、映画会社が蒼くなるのもかまわず贅沢にフィルムを長回しをしまくって、おんぼろトラックがアメリカの田舎をよたよたよたよた寄り道しながら走るところ撮るだろうねえ。トラックの中では、オーソン・ウェルズが、太鼓腹を揺すりながら葉巻をふかしハンバーガーを齧り怪しげな歌を能天気に歌いあげ、若くもなければ美人でもない上にスタイルも悪いアメリカの田舎女たちにでれでれでれでれと媚を売りまくる。このスケベじじい!
おんぼろトラックに乗った老フォルスタッフのコカイン運び屋。
すげえ観たいなあ。

1980年の千駄ヶ谷「ピーターキャット」

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店の設計は村上氏自身がした。カウンターの椅子は横浜の家具屋で買ったもの

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大きなテーブルは大工さんに2万円という驚嘆的廉価で造ってもらったもの。奥のレンガの壁に時として映画のスクリーンをかけ、マルクス兄弟ものを映して密やかに愉悦

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←このコーナーで 本を読んだり原稿のゲラを見たりする。時には友人とチェスもやる。藤のソファは<ヨーガンレール>で買ったもの。レンガの床は自分で造った ↓ピアノのコーナーはコレクション・コーナーになっている。壁には単行本『1973年のピンボール』の装丁に使われた佐々木マキ氏の原画や靉嘔の作品が飾られ、ピアノの上には猫のオブジェが

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(以上、「ブルータス」9号 1980 12/1「男には隠れ家が必要である」より)
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以下、千駄ヶ谷「ピーター・キャット」についての紹介文。
「ブルータス」5号 1980年10/1「Grey Flannel すべの男たちよグレイ・フランネルだけは着こなさなくてはならない。」掲載。
経営者・村上春樹については言及なし。

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雨の夜のトランペットは胸にしみる。<ピーター・キャット>でバーボン、フォア・ローゼズを飲んだ。

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←カクテル600円、スコッチ(S) 500円

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→営業時間は11:30~24:00まで。年中無休☎︎03-404-0305

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「ブルータス」5号 1980年10/1「Grey Flannel すべの男たちよグレイ・フランネルだけは着こなさなくてはならない。」

1983年の村上春樹宅

「FM fan 1983年No.7 3/14-3/27」(共同通信社)掲載

「音のあとりえ:『芦屋』発『ジャズ喫茶』経由『作家』行き」より

撮影・平郡重典/イラスト・内山雄仁

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音のあとりえ :「芦屋」発「ジャズ喫茶」経由「作家」行き

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イラスト・内山雄仁

☆村上さんの本の層がを担当している佐々木マキさんの絵

☆奥さんの趣味だとかで、ネコの置物がいっぱい

☆THE MARX BROTHERS の映画のポスター

☆この部屋の設計は、すべて奥さんまかせとの事です。ただし、プレイヤーとスピーカーのセッティングは村上さんが指定しました。

☆竹で編んであるやぎの置物  背中のフタを開けると小物入れになる

☆色エンピツが数本

☆村上さん原稿はいつも万年筆で書いています。モンブラン149を愛用

☆スピーカーは自作でJBL ・ツィーター2402 ・アッテネーター3105 ・スコーカーH5039 ・ウーハーD130

☆ピアノ、ヤマハ

 

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イラスト・内山雄仁

☆今は亡き天才ピアニストグレングールドのポスター

☆ネコの置物 メキシコのもの

☆レコード 3000枚ぐらい 6割はジャズで あとはロックとか クラシックなど

パワーアンプ Accuphase P-300

パワーアンプ Sansui BA-3000

☆プリアンプ Marantz 3600

☆プリアンプ Sansui CA-3000

☆プレイヤー GARRARD 401

☆プレイヤー DENON DP-3000

☆オープンデッキ Technics 1500

☆オープンデッキ TEAC X-10R

☆テープデッキセレクタAKAI DS-5

カセットデッキ Lo-D D-88

☆デッキ TEAC CX-350

☆チューナー Technics BOT

☆カートリッジ PICKERING XV-15/625E  SHURE VIS TYPE Ⅲ

☆カメラ Canon AUTO FOCUS AF-35M

 

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FM fan 1983 No.7

製パン覚書


食パン%

イーグル100
砂糖5
塩2
ドライイースト0.8
全脂粉乳3
バター5
水71

基本の食パン


食パン1斤

強力粉 250g
きび砂糖 12g
塩 4g
スキムミルク 6g
インスタント ドライイースト(赤) 3g
水 175g
バター 12g

捏ね10分

一次発酵(30℃ 60分)→35℃ 40分

丸める

ベンチタイム(20分)

型を準備する
成型する1(楕円形)
成型する2(くるくるくるくる)

発酵させる(スチーム発酵 35℃ 55分)→(スチーム発酵 40℃ 40分)

焼く(予熱あり220℃ →200℃ 30分)

基本の食パン/cuocaのレシピ



ハンバーガーバンズ(4個)

Φ10cm 1個109g

210℃予熱→200℃ 15分

東芝石窯で焼くバゲット

[材料]
リスドォル100%
水70%
モルト0.2%
カンホアの塩1.9%
セミドライイースト赤0.1%


[捏ね等]
オートリズ(水モルト粉を混ぜて30分〜1時間休ませる)

イーストを入れる(塩は入れない)

4〜5分捏ねる

塩を混ぜる(切り混ぜ)

20分弱捏ねる(力を入れない。入れすぎるとべたつき出す)

グルテン膜を確認(薄ければ薄い程によく延びる)

高さを出したい時は、10回程叩きつける

90分一次発酵

パンチ(三つ折りを2回)(高さを出したい時は長く延ばして三つ折り)


[予熱]
1)上段だけに天板を逆さにして入れる。下段は何もなし。
2)過熱水蒸で最高温度まで


[焼き]
1)過熱水蒸で230℃ 10分
2)上段の天板を外し、下段天板を180°ひっくり返す。
3)オーブン 220℃ 15~20分

基本のパンフランセ


「PLAYBOY」の悲しき片思い


「2012年9月15日」に書いたもの。読み返してみたら、面白いんで、再掲。

昨日からTwitterで書いてるトマス・ピンチョン→ウォーカー・エヴァンス+ロバート・フランク→カラー写真→ロックンロールの話が面白いんだが、まとめようとすると、どこから書き始めていいのかわからない。
Twitterで書き始めると、バラバラのままでまとまらなくなるよな。

1955年を舞台にしたトマス・ピンチョン「V」が、アメリ東海岸のロードを行ったり来たり、ヨーヨーイングに終始しながら、人生を送っているベニー・プロフェインを主人公にしている。

ピンチョンの小説は、むせ返るような安っぽい色彩に満ちあふれている。

アメリカのロードの写真」と言えば、ウォーカー・エヴァンスとロバート・フランク。ふたりの写真は、頑にモノクロだけど、実際には、ピンチョン的な色彩が満ちた場所だった筈。例えば、ロバート・フランク「アメリカ人」に頻出する星条旗、写真では落ち着いたモノトーンの訳だが、実際には赤白のストライプに青地に白星のけばけばしい色彩。農民たちが着てる服にしろ、ブルージーンだったりタンガリーシャツだったり、黒く見える車は真っ赤っかだろうし等々。

ロバート・フランクアメリカ人」は1955年の撮影。ピンチョン「V」で、ベニーがうろついてるのと同時期の記録。

ウォーカー・エヴァンスがカラー写真について語っている文章。

“Many photographers are apt to confuse color with noise and to congratulate themselves when they have almost blown you down with screeching hues alone – a bebop of electric blues, furious reds, and poison greens.”

Walker Evans, Fortune magazine, July 1954 issue, page 77.
https://ginagenis.wordpress.com/2011/04/21/walker-evans-quote-about-color-photography/
このブログの人は、1954年のモノクロからカラー写真への変化を、21世紀のフィルムからデジタルへの変化になぞらえてる。まさにそんな感じだったのかもしれない。1954年に、ウォーカー・エヴァンスは、51歳。熟年に達した写真家が、近頃急に流行り始めたカラー写真やらエレキギターやらに眉をひそめてる感じ。

1954年。この年に、アメリカでカラー写真に大きな変化があった。技術的な変化ではなく、法規制によって、複雑な課金システムが廃絶され、コダクロームが急激にひろがりはじめた。(英語がわかんなくてここんとこ自信がないが、なんか法規制があったことは確かだろう)

Because of its complex processing requirements, the film was sold process-paid in the United States until 1954 when a legal ruling prohibited this.

http://en.wikipedia.org/wiki/Kodachrome

その結果、50年代には、「PLAYBOY」誌などは、既にカラーピンナップを多用している。
http://www.x-al.com/Playmates/index.html

「Playmates」のカラー写真を思い浮かべると、51歳のウォーカー・エヴァンスがカラーを嫌がっていた理由もよくわかる。「私たちは『写真家』だ! エロカメラマンなんぞと一緒にされたらたまらん! なんだ、その仰々しい色彩は・・。エレキとか騒々しいノイズが音楽ではないように、毒々しいカラー写真なぞ写真とは認められん。そうは思わんかね、ロバート・フランクくん?」と、31歳のロバート・フランクに振って、まだ駆け出しの写真家だったロバート・フランクが「ですよねー!」と応じて作られたのが、「アメリカ人」

With the aid of his major artistic influence, the photographer Walker Evans, Frank secured a grant from the John Simon Guggenheim Memorial Foundation in 1955 to travel across the United States and photograph all strata of its society.

http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Frank#The_Americans

でも、1955年に18歳だったトマス・ピンチョンに映ったアメリカは、コダクローム的な安っぽい色彩に満ち、ノイズと喧噪に満ちた場所だったし、実際、そうだったのだろう。

ロバート・フランクは、この「1954年」の変化をどうしても受け入れることができなかったのではなかろうか?
1973年、ローリングストーンズに密着して撮影された「Cocksucker Blues」 は、時代錯誤にモノクロで撮影されている上、「ロック」に対する嫌悪感に溢れていた。

ミック・ジャガーは、ロバート・ジョンソンハウリン・ウルフが大好きなアメリカかぶれのイギリス人で、ウォーカー・エヴァンスやロバート・フランクの旧いアメリカが好きで好きでたまらないんだけど、旧きアメリカの方では、ミック・ジャガーミック・ジャガーに熱狂するような連中が大嫌い。
PLAYBOY」の悲しき片思い。

っていうような話。
割りと気に入っている。

V.

V.

The Americans

The Americans