ノーベル文学賞の本領



村上春樹ノーベル賞祈願集会・・・・アホか。 
村上春樹ノーベル賞」騒ぎで、どうしても違和感が拭えないのは、ノーベル文学賞受賞者で、一番尊敬してるのが、エリアス・カネッティだからかもしれない。「カネッティと同列に村上春樹かよ」って違和感。カネッティ的な人にやるのが、ノーベル賞の本意。売れ線作家にはやんなくていいじゃん。
カネッティは、89歳まで生きて、膨大な著作を残した。その中で、小説と言えるものは、25歳の時に書いたものが一編。面白いけど、そうそう画期的なもんじゃない。そりゃあカフカの方が良い。しかし、小説じゃない「群衆と権力」っていう著作はすごい。そもそもなんだかよくわかんないほどにすごい。すごい!ってことはわかるけど、「で、それってなに??」って言われて困る程にオリジナルなわけのわかんない労作。
歴史哲学ではない(そもそも論理展開しない!!! だから、そもそも学問書じゃない。ハッキリと違う)。当然、社会学でもない(論理展開しないんだってば)。人類学としても半端(人類学的な言及は、すべて他の書物からの引用)。百科全書? 偏りすぎでしょ。「確かに独創的な主旨だけど。これを信じていいの??」と言われて困る。信じるしかない。信じるにたる証拠が揃っているとも思えないけど。なら宗教書? これもハッキリ違う。祈りがない。集団の形成も願ってない。宗教書ではあり得ない。 でも売れそうか? ぜっっったい売れない!! ぜっっっっっっっったい売れない! 間違いなく売れない! それだけは断言できる。でもすごいよね!? これを知ってしまった以上褒めないのは、人としてどうなの? なんかしなくちゃいかんでしょ! ぜったいすごいんだもん! このすごさは、ちゃんと世間に伝えようよ!・・・・・で、どうすんの?・・・・あ!!! 「文学」! 文学にしちゃおう! 文学だよ、文学文学! ノーベル文学賞やろう! これだろ!!
って感じで、配るべきが「ノーベル文学賞」。
村上春樹って、アーヴィングでしょ? カーヴァーでしょ? フィッツジェラルドでしょ? チャンドラーでしょ? そっちに肩入れしてる小説家にノーベル賞やる必要ないじゃん。同時代の世間に受け入れられて、本がとっても売れた時点が終着点。それが望みだったんでしょ? 「同時代の人々から愛されて大事にされる」。目標に到達してるじゃん。
本人も言えよ、「僕はノーベル賞とかいりません」って。「だって、フィッツジェラルドももらってないでしょ?」って。



(これ書いた直後にボブ・ディラン受賞を知って快笑。やるなあノーベル文学賞選考委員! 「文学」はこうでなくちゃ!)


群衆と権力〈上〉 (叢書・ウニベルシタス)

群衆と権力〈上〉 (叢書・ウニベルシタス)

群衆と権力〈下〉 (叢書・ウニベルシタス)

群衆と権力〈下〉 (叢書・ウニベルシタス)

Masse Und Macht

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